2018年08月02日

クハ103-1

大阪環状線を走っていた103系トップナンバー先頭車です。撮影は国鉄時代の天王寺駅。前照灯変更や車体サイドの戸袋窓の埋め込みをはじめ、排障機取付、運転室窓ガラスゴムの金属覆いが施された後の姿とは随分と雰囲気が異なります。
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天王寺(撮影日不明)

資料によれば1964年5月に池袋電車区へ新製配置といいますから、山手線で走り始めた車両という事になります。
その後は京浜東北線を経て、1976年に大阪へやってきて以降、長く環状線で活躍しました。塗色もウグイス→スカイブルー→オレンジ→スカイブルーと変わりました。最後は相棒のクハ103-2と編成を組んで阪和線で現役でした。当初は非冷房車でしたが、環状線転属後、すぐに冷房化工事を実施されています。

103系は3000両もの両数が造られて、首都圏、京阪神の都市圏輸送を支えました。クハ103-1は量産車の1号ということで、引退後も早くから京都鉄道博物館の収蔵車両候補に決まっていたようですが、展示に際して、塗色を環状線時代のバーミリオンオレンジに戻されました。可能であれば、ほぼ原型だった写真時代の姿まで復元して欲しいところです。
※1963年に試作車として登場した旧クハ103-1が別に存在しましたが、翌年の量産車登場により900番代に改番となりました。こちらは1990年に青梅線での活躍を最後に引退しています。
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キハ183 904 キハ182 902(キハ183系試作車)

バラエティ豊かな183系気動車の中でも元祖な試作車グループに属するキハ183 904、キハ182 902です。道内のキハ80系取替用として1979年、長期テストを兼ねて落成した試作車12両のうちの2両です。
量産車と目につく違いは、空調装置故障時に備えた換気窓があることです。この頃に新造された他の特急車両でも一時採用されました。前から二つ目がそれで、上部分が内側へ可倒する構造になっていました。
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キハ183 904 1984.8 札幌

走り始めた当初は、函館ー釧路間を3往復で運転されていた「おおぞら」のうち1往復限定で10両編成で投入されました。運用的に片道分しか編成を組めないので、充当は80系編成と日替わりバンコ。時刻表にはその旨の但し書きがされ、183系で運転される日は食堂車がない代わりに、自由席が1両増えるという変則列車でした。

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キハ182 902 1986.8 札幌

また、キハ182の小窓部分が非常口を兼ねていますが、これも量産車にはない特徴です。近年までバスにも見られた非常口ですが、国鉄では「使った試しがない」ということでキハ183系試作車を最期に廃止。それまで非常口扉を備えていた全国の従来形特急車両も、後にほぼ全ての車両で埋められてしまいました。
900番代の試作車グループは後に量産化改造が施されましたが、量産車との相違点も多かったことからか、廃車時期は比較的早く、2001年までに全車引退しています。

加悦鉄道キハ08 3(キハ40 3)

1960年代にオハ62、オハフ61といった元60系客車をベースに気動車に改造されたキハ08形です。最初は初代キハ40形として登場し、仲間に方運転台タイプのキハ45形(後にキハ09に改番)、キクハ45形、付随車のキサハ45形があり、慢性的な気動車不足であった当時、北海道、東北、四国で導入されました。
写真は1985年5月に廃止となった加悦鉄道に払い下げられて活躍していたキハ08 3。元はオハ62の最終番号車オハ62 130からの改造です。
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1985.3 丹後山田

キハ08は計3両が登場し、釧路と札幌地区で同系列同士のほか、キハ22等と併結で運用されていたようです。国鉄から全廃後の1971年以後、3号が払い下げられて、京都北部の加悦鉄道にやってきました。車体中央の社紋とクリーム地が同鉄道の白っぽいカラーとなっているほかは、車号も銘板も国鉄時代のままでした。銘板については日本国有鉄道、苗穂工場改造の他、オハ62時代の盛岡工場改造の3つが運転台正面に付いていました。車内設備はニス塗りの木材内装に白熱灯、クロスシートが並ぶ旧型客車そのもので種車譲りの二重窓も健在。後に国鉄よりキハ10形も譲渡されてからは、雪と寒さに強い北海道車の持前を生かし、冬場をメインに稼働していたようです。
余談ですが、現在もJR各社で走っているキハ40形に0番代が存在せず、101〜の車号で始まっているのは、キハ08のキハ40時代と重複が生じるからとも言われています。
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