DC時代の奈良線を知っている方の多くはキハ35というイメージと思われますが、この車が居た頃は5両編成や朝の増結用に両運転台のキハ10、11、そして20型が残っていまして、後からやって来た近郊型キハ45とも込みで使われていました。
なんで、使用列車も連結位置も固定化されており、乗車時は真っ先にご指名でしたね(笑)。運転室直後の通路仕切りと助手席側の壁は腰高までという開放的な構造も特徴で、両端の二人掛けの部分は被り付きで前方展望も出来る特等席。子供の頃は行き違いの駅で、しばしの交換列車待ちの間、運転士さんから話しかけて頂いたものです。(壁に「運転中の運転士に話しかけないでください。」なブレートも付いてました。)
復活を実現させるあたり、懸案の噴射ポンプ(ディーゼルエンジンの心臓部にあたります)は複雑な構造で、整備専門業者の内燃機屋さんも減ってる昨今、その苦労を察します。
一度、機会があれば再会に行きたいですね。
https://news.yahoo.co.jp/articles/df3a7c8814c0964e98ddb05a9e8f1e5bbeccb90b
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