製造には多くの民間メーカーも参入し、国内における産業育成と終戦後の復興輸送に貢献した60系ですが、工作の簡易化に伴う切妻構造の採用や、緩急車については後方監視を容易にする事から、車掌室を出入り台の外側へ設けたのも、この系列が最初でした。
画像はオハ60と共に、鋼体化客車の中で最も初期に造られた緩急車のオハフ60です。3枚連続の小窓が並ぶ様に木造車の血統が見られる車両で、主に北海道に配置されました。

1981.3 釧路
撮影のオハフ60 44は最後に残った1両で、1981年3月に釧路を訪れた際のものですが、時既に遅し。既に廃車前提の保留車として側線に留置されている様子で、釧網本線での乗車が叶わなかっのたは残念です。
また、本車では車掌室の窓が家庭用アルミサッシに交換されています。下降窓だった車掌室の腐食対策で、形式を問わず、他の北海道配置車で良くみられた形態でした。
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