電車や気動車、10系軽量客車が進出しつつあった1960年代当時、内装の見劣りもすることから、主に急行列車用だった同系列の殆どについて近代化工事が行われました。他形式への改造例は少なく、一部が晩年、通勤形オハフ41 200番代や改造名義でスユニ50への部品供出車となっています。
主な工事の内容については、天井灯の蛍光灯化、座席テーブルの取付、内装をニス塗りの木製ベニア板から樹脂製化粧板への交換等。アルミ製の窓枠やスチール・ステンレス製網棚への交換まで手が入った車両も多く存在しました。
また、本工事では予算や施工工場ごとの差も多く、外観色こそ青に塗られていても、テーブルが省略されていたり、ベニア板をペイントで塗りつぶして、文字通り茶を濁しただけの外れ車両も一部で見受けられました。
1971年頃からは引き続き、客車の検査回帰延長を目的とした体質改善工事(妻板にTマーク表記)が実施され、この際に近代化改造に準じた整備が施された車もあったようです。
そのほか、地方の混雑時対策として、スハ43、オハ47とも四国では車端部のロングシート化と吊り革設置、洗面所を撤去した近郊形改造車や、九州(筑肥線・勝田線)では同じく座席を撤去した車も存在しましたが、番代区分は伴いませんでした。
1986.10 浜坂
同車は現在でもJR、私鉄で保存車が健在ですが、JR化後、スハフ42 2254が1991年まで和田岬線の予備車としてJR西日本に所属し、時折オハ64に連結されて走る姿を見せていました。塗色は青15号でしたが末期はぶどう色化され、同線の気動車化まで、定期列車最後の43系として活躍を続けました。
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