本来105系オリジナルの0番代は福塩線、宇部・小野田線に投入された3扉の新車ですが、500番代は1984年10月の奈良線、和歌山線・紀勢本線(五条ー和歌山ー和歌山市)電化用および可部線72形新性能化用として常磐線の営団千代田線乗り入れで使われていた103系を2連にバラして転用された中古電車でした。105系化にあたっては元中間車の新製運転台ブロック接合による先頭車化と1M方式である0番台相当の仕様に合わせるために主要機器の刷新が行われています。

写真は奈良線電化開業当日の祝賀列車。ここのブログでいつも出てくる定位置からの写真です。
幼い頃より気動車に親しんで来た自分としてはキハ35も40もこの日から嘘のように姿を消してしまい、しかも投入された電車は中古のロングシート。両数も減車され城陽駅も無人に。こいつに変わった時は地元ファンとして電化を手放しで喜べず複雑な気持ちでしたね。
この数年後、奈良線ではJR化後の91年頃に113系や117系が進出、105系は103系に変わるまで結果的に10年ほどの運用に終わりましたが、当初は地下鉄時代のまま下段窓が固定されていて不評だったこと、国鉄時代にいち早く一部で103系並みの冷房車が登場したことも今は懐かしく思い起こされます。
105系化されてからも35年。活躍路線の新車投入優先度もさることながら、ここまで生きながらえたのは103系譲りの頑丈さと偶然ながらワンマン運転に向いた運転台直後に乗降扉のある構造、桜井線や和歌山線に適した1M方式という仕様が幸いしたことも理由ではないでしょうか。派手な活躍ぶりは見せなかった車でしたが、日々沿線の人々の足として、長年に渡って活躍してきたことを労いたいものです。