2018年08月01日

8/1 本日の奈良線103系・205系運用 ダイヤ乱れで不戦敗

所定A43(1652M)=103-???。今日は、また午後にレール膨張で運転見合わせがあった模様。ヤマト営業所へ荷物を出したに行った時に、遅れと思われるこれ1本しか見れませんでした。
定時で運転されていれば、夕暮れ時に103系のスジもあって、24日より綺麗な夕焼け空だったのに・・。次の機会を待つとします。
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ー寄せて頂きましたコメントにつきましてのお詫びー
これまでコメントを幾つか頂いたのに、気がつかず申し訳ございません。この「さくらのブログ」ですが、承認してから表示するモードに設定していると、デフォでは頂戴していてもコメントが表の管理画面に出てこず、階層を下げた専用ページを開けないとステイタスが表示されないようです。これまでの使いこなしが出来ていない自分が悪いんですが、遅ればせながら順に返事を急いで書いております。まずは、寄せて頂きました皆様には、この場にて取り急ぎお詫び申し上げます。
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オハフ62 20

オハ62の緩急車として1954年より30両が鋼体化改造により製造されました。後に本州用オハフ61から北海道向けに再改造された10両が加わり、全部で40両の陣容でした。
1960年から5両が、気動車にも改造され、こちらは車掌室に運転台を設けた旧キハ45(後にキハ08に改番)となりました。最後は道内の釧網本線でオハ62と共に混合列車で運用されて、1984年の全列車気動車化で引退となったようです。写真のオハフ62 20については窓ガラス越しに、座席背ズリのモケット張り改装を施されていた様子が判ります。
オハフ62_20.jpg
1981.9 大沼公園
タグ:オハフ62 20
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オハ62 92

オハ61を北海道用に二重窓構造、蓄電池(バッテリ)を大型容量としたのがオハ62です。1951年より130両が作られました。オハ61やオハフ61の日除けは鎧戸ですが、北海道用では代わりに二重窓が設置されたため、他系列の客車並みにロール式カーテンの日除けも付いていました。130両のうち6両が客車改造気動車の種車となり、キハ40(後にキハ08に改番)、キサハ45に3両づつ改造されました。

写真は釧網本線で活躍していたオハ62 92号で、同線で行われていた貨車との※2混合列車運転に備えて、石油ファンヒーター装置を床下に設けていました。釧網本線を受け持っていた釧路区のオハ62では、鋼体化客車の中でも、※1背ズリにモケット地クッション取付と室内照明の蛍光灯化整備を施されていた事が特筆されます。
同線では釧路方のみに緩急車を連結することから、網走方に編成されるオハ62やオハ47には取外し式のテールライトを付けて運用されていました。
オハ62_92.jpg
1983.8 網走

オハ62窓周り.jpg
釧網本線のオハ62座席と二重窓  

数では圧倒的な両数を誇ったオハ61の方が早くに形式消滅しましたが、オハ62は釧網本線と例外的に2両が本州に配置されていた五能線で、どちらも全列車が気動車化される1984年2月まで見られました。


※1980年3月の電化まで草津線で運用されていた近郊型改造のオハフ61 1500番代でも、同様の施工が行われていたのを記憶しています。

※2混合列車では各駅で行われる入換え作業の効率上、機関車次位に貨車を連結する場合が多く、冬季では暖房の熱源となる蒸気を客車に供給できない為。石油暖房設備のなかった時代の混合列車では、各車のボックス席を一部取り外して、石炭ストーブが設置されていました。
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オハフ61 650

オハ60、オハフ60を1m幅の広窓構造として1951年に改良登場したのがオハ61、オハフ61です。両数もオハ61が1052両、オハフ61が795両の大所帯で、鋼体化客車を代表する形式でした。
後に両形式の車端部2ボックス分をロングシートに改造した近郊形1500番代、和田岬線専用車として座席を殆ど撤去したオハ64とオハフ64、オハ61をリクライニングシート座席に改装した旧2等車オロ61、さらにオハフ61の車掌室を運転台に改造した気動車、キクハ45も登場しました。和田岬線のオハ64・オハフ64ではJR化後の1991年まで現役で、定期列車としては最後の旧型客車使用の列車でした。
オハフ61_650.jpg
1980.7 京都

車体は新製ながら大正時代に製造された木造車の台枠、釣り合いバネ式のTR11台車、連結器の主要部品をはじめ、座席や網棚の支持金具まで種車から流用されています。車内も輸送力を重視した仕様の故、※1シートピッチを1,335mmに詰めて、定員は他の客車よりも2ボックス多い+8名とされました。
オハフ61_650車内.jpg
オハフ61 650車内 1982.6 若桜
オハフ61_650窓周り.jpg

ー快適とは無縁だった客車ー
ここからは実際に乗った経験がある私の評価になりますが、オハ60系については、薄暗い白熱灯照明の車内、狭いシートピッチ、木造車時代さながらの板張り式背ズリ、夏は扇風機なしに加えて縦揺れの激しいTR11台車の乗り心地は、長時間乗車に適さない客車でした。特に車端部座席の各8名分については背ズリすら省略されていて、仕切壁に直接、背中をもたれて座るという接客設備。古いオハ35系と比較しても落差は大きく、子供の目にも、最低限の製作コストで作られた背景が見て取れる車でした。

80年頃までの地元、山陰本線京都口の客車列車では大抵の列車で、このオハフ61が編成中に1両は混ざっていまして、鉄道ファンでない一般利用客でさえも粗悪な同車を避けていたものです。遠目には珍しかった茶色のスハフ42にそっくりで、ホームへ入線してくる際に期待半分で近寄ってみたら、やっぱりオハフ61だった時のガッカリ感は今も忘れられません。

60系客車は在来型客車の中でも、このように設備レベルの差が顕著だった事もあって、淘汰はローカル線の気動車進出が進んだ1970年頃からと早く、50系客車も新製されるようになると急速に姿を消していきました。オハフ61は少数が※2四国と東北に辛うじて最後まで残っていましたが、1985年までに運用を外れています。


※1 オハ35・スハ43・オハ12は定員88名、シートピッチはそれぞれ1,455mm・1,470mm・1,580mm。

※2 1985年の正月に最後の花道?として臨時急行「いよ52号」に使われたのは、知る人ぞ知る有名な話でした。1960年代では東北方面の臨時急行にも抜擢されたようですが、京都の当地では1978年頃の遅くまで、末近代化改造車のオハ35系ばかりを寄せ集めて運転されていた「白兎51号」(京都ー出雲市 全車指定席 客車8両編成)に連結されていたのを知人が目撃しています。

※3 1500番代は草津線でも運用されていましたが、座席はクッション付きのモケット張り、蛍光灯照明に改装されていました。
タグ:オハフ61 650
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オハフ60 44

まだ戦後の混乱も冷めやまぬ1949年、深刻な問題となっていた古い木造客車の老朽化対策と安全面から、その主要部品と新製車体を組み合わせて造り替えたのがオハ60系です。鋼体化客車あるいは鋼体化改造車と言われるグループですが、当時の資材難に加え、車両新造については進駐軍当局による厳しい規制があった中、改造名義ということで辛うじて製造が許された客車でした。
製造には多くの民間メーカーも参入し、国内における産業育成と終戦後の復興輸送に貢献した60系ですが、工作の簡易化に伴う切妻構造の採用や、緩急車については後方監視を容易にする事から、車掌室を出入り台の外側へ設けたのも、この系列が最初でした。
画像はオハ60と共に、鋼体化客車の中で最も初期に造られた緩急車のオハフ60です。3枚連続の小窓が並ぶ様に木造車の血統が見られる車両で、主に北海道に配置されました。
オハフ60_44.jpg
1981.3 釧路

撮影のオハフ60 44は最後に残った1両で、1981年3月に釧路を訪れた際のものですが、時既に遅し。既に廃車前提の保留車として側線に留置されている様子で、釧網本線での乗車が叶わなかっのたは残念です。
また、本車では車掌室の窓が家庭用アルミサッシに交換されています。下降窓だった車掌室の腐食対策で、形式を問わず、他の北海道配置車で良くみられた形態でした。
タグ:オハフ60 44
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オハフ41 203

珍しい通勤形客車オハフ41 200番代です。元々のオハ41、オハフ41では余剰となった1等車・グリーン車を種車に改造され、緩急車のオハフ41は0番代3両、100番代1両の計4両しかない客車でした。
本車の場合は43系の緩急車スハフ42 40・41・278からの通勤形改造で、41系客車では最も遅い1979年に201〜203の3両がオハフ41の追加番代車として登場しました。翌年以降に0番代・100番代の廃車が進行し、全7両が存在したのは、ごく短期間でした。

200番代は山陰本線の下関口でラッシュ時増結や行商専用車として用いられました。他の41系と異なり、便所や洗面所、便洗面所側と客室の内仕切りが種車時代のまま残置されていたように記憶しています。
オハフ41_203.jpg
1982.4 長門市
オハフ41_200番代車内.jpg
オハフ41 200番代車の車内全景
オハフ41_50系併結.jpg
50系客車との併結運用 1982.4 門司

また、主に50系客車と併結で運用されることから、自動ドアの空気元を機関車から引き通す必要があり、MR菅対応工事も施されていました。1984年2月ダイヤ改正まで存在した長距離普通列車824レ(門司5:52ー福知山23:51)にも長門市まで付属編成として連結され、当時、乗車された方の中では、見かけた人も居るのではないでしょうか。
200番代は、この年までの運用で、事業用車※2オヤ62に再改造された写真の203号を除いて廃車となり、オハフ41は形式消滅となりました。

※1オハフ41 0番代、100番代については金沢・姫路区に配置され、晩年は七尾線・播但線で運用されていました。両線区において、50系客車の投入により1981年までに置き換え廃車となっています。

※2最後は民間に払い下げられて、車体は三重県で飲食店として利用されたようです。
タグ:オハフ41 203
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オハ41 411 オハ41 502

1964年から1970年にかけて、余剰となっていた優等客車を地方都市のラッシュ時輸送用に格下げ転用し、通勤形に改造された客車がオハ41です。同時期に緩急車のオハフ41も登場しています。
全てが改造車だったオハ41は、2人掛けリクライニングシートを備えたスロ51・52・スロフ51・53(※1特ロ→グリーン車)、または転換・回転式2人掛け、および4人掛けボックス席のオロ35・36・40・41・42(※1並ロ)等、種車も様々で、元の客車形式ごとに9つもの※2番代に区分されていました。
北海道を除いた全国の地方区所に配置されて、主に北陸の七尾線や近畿・中四国では元特ロ車、東北そのほかの地域では元並ロ車から改造された車が多かったようです。近畿圏では晩年、向日町・亀山・姫路に配置され、客車列車の50系化まで草津線・播但線・姫新線において活躍が見られました。

改造の内容は、座席のロングシート化、吊り革の取り付け、洗面所と客室側仕切りの撤去が行われ、便所については番代によって残された車と撤去された車とがありました。乗降口が片側のみだった客車については、第2便洗面所、乗務員室も撤去の上、デッキが増設されました。種車時代にTR40形台車を履いていた車では、オロ42を除きTR23に振替が行われた他、近代化改造の施工状況に関わらず、ぶどう色2号のチョコレート色を纏っていました。

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オハ41 411 (佐々木 祐二様 提供)
オハ41_502.jpg
オハ41 502 (佐々木 祐二様 提供)

写真は元スロ52 8(スロ51 31を形式変更)から改造された400番代車のオハ41 411、元スロフ51 43(スロ51 43を緩急車化改造)からの500番代車、オハ41 502で、岡山近郊の伯備線や吉備線、津山線の通勤列車で運用されていました。
特に411号については、グリーン車のスロ52時代、函館運転所に配置所属。あのC62重連で名を馳せた名列車、急行「ていね」号や、後の「ニセコ」号に連結されていました。当初、スロ52は姉妹車形式のスロ51として登場し、※3新製時から二重窓仕様の北海道用につては区別のため形式変更となったものです。グリーン車の冷房化により後継のスロ54・62と交代で本州へやって来ましたが、北海道からの旅客車両転配は大変珍しい例でした。

オハ41は急行や準急運用から外れて隠居という印象がピッタリで、大半が編成中に1、2両組み込まれて、朝夕に1往復、あるいは夕方に地方のターミナル駅を出発、翌朝に折り返して戻って来るような使われ方でした。
下の画像は、古い8mm映画に映っていた1コマですが、グリーン車時代のスロフ51です。
スロフ51_2039.jpg

ー「阪急電車みたいな客車」ー
ところで、私の子供の頃の話になりますが、オハ41については、153系や117系新快速の車窓から向日町運転所に止まっている姿を見かけのが初見です。形式も、その素性も知らず、太い窓柱とアルミサッシの小窓が並ぶ端正な姿に「阪急電車みたいな綺麗な客車だな」「座席は本で見た44系客車みたいな転換シートかな?」という印象で興味津々。
後日、京都駅直通の草津線列車で走っていることを知り、その時の対面では、思い描いていたイメージとの余りにもの落差に、ショックを受けたことが思い起こされます。気動車や電車と違って、どこか気品が感じられる客車については全部クロスシートがあたり前、とばかり考えていたのですから。
お客さんが後頭部を窓側に向けて乗っている様子に、後々も違和感が消えることはなかった客車でした。

※1 3等制だった時代、特ロは部内用語で旧特別2等車、並ロは旧2等車を指しました。急行列車での利用には2等運賃のほか、2等急行料金が必要で、特ロ車(座席指定)と並ロ車(自由席)両方が連結されていた列車もあり、座席設備の差から料金が各々で異なりました。どちらも等級制度が1960年に改められて1等車となりますが、この頃までに元特ロ1等車は主に特急・急行用、元並ロ1等車については、普通列車や準急用と使用列車の棲み分けが図られました。
後に1969年の制度改正で等級制運賃が廃止され、1等車はグリーン車に改められました。グリーン車利用については普通運賃に各種グリーン料金が加わる現在の国鉄〜JRの運賃料金制度となりました。

客車の元並ロ1等車については、その前年となる1968年までに格下げや荷物車への改造、または廃車が進められ、43.10ダイヤ改正までに運用は終了しました。一時的に、座席は1等車時代のまま格下となったオハ51(1世代目)・53・55を経て、オハ41に改造された車両もありました。
利用者の多い東海道・横須賀線や京阪神の電車区間を走る旧並ロクラスの1等車(サロ110、サロ111等)だけは、普通グリーン車として継続が図られて、名残が今も首都圏近郊列車に連結されるグリーン車に見られます。

※2 オハ41は0番代(オロ36)、50番代(オロ40張上げ屋根車)・100番代(オロ40)、250番代(オロ42)、300番代(オロ35)、350番代(スロ51)、400番代(スロ52)、450番代(スロフ53)、500番代(スロフ51)
  
  オハフ41は0番代(スロフ51)、100番代(スロフ53)、200番代(スハフ42)

※3 スロ51は北海道用と本州用新製車とがあり、北海道用はのちにスロ52に形式変更されました。また本州用スロ51の中からスロ52に耐寒改造された車も存在しました。
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スハ40 2115

オハ36に電化区間での電気暖房装置取付の工事を施し、再び重いスハ級となったのがスハ40です。電気暖房対応化を施された在来型客車については、車号に2000を加えた改番が通例で、元のスハ42 2000番代に戻っても良さそうなものですが、本車にあたっては別形式(車番はスハ42〜オハ36時代の車番+2000)となりました。
両数は全部で13両と数少なく、画像は電化前の関西本線名古屋口で運用されていた時の物です。スハ40は1985年3月改正で運用を退き、活躍末期は主に北陸本線の普通列車でその姿を見られました。
スハ40_2115.jpg
1982.3 名古屋
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オハ36 505

スハ42を軽量化改造して1959年より61両登場したオハ36です。内装の近代化と並行して窓枠のアルミサッシ化、水タンクのFRP化、10系軽量客車と同じ座席に交換が行われて、重量が1ランク低いオハとなりました。まだ大量輸送手段となる新幹線がなかった当時、年々増える需要に対して客車を軽くし、1両でも多く増結出来ることが求められていました。限界に来ていた在来線の輸送力確保に苦悩する国鉄の状況を伺い知れる車両です。
車内の造作も放送用スピーカーが、新性能電車や気動車並みに天井埋め込み式になるなど、在来型客車離れした印象でした。画像は北海道用に再改造された500番代の505号。
オハ36_505.jpg
1980.9 大沼公園
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スハ42 76

スハ42は戦後の輸送需要が逼迫する中、1948年よりオハ35の改良形として140両が製造されました。屋根材については資材が限られる時勢、製造所やロットによって布張りと鋼板張りの車が存在しました。台車は軸箱をウィングばねで支える方式の新形式TR40となりました(スハ43で改良採用のTR47とはブレーキ装置の構造が異なる)。

一見、形式、台車の形状からスハ43系と紛らわしい車ですが、車体はオハ35後期形と同じで、スハ42はオハ35グループに分類される客車とされています。同時にやはり、オハ35の緩急車オハフ33をベースとしたスハフ41も20両製造されていますが、こちらは台車を旧1等寝台車マイネ40のTR34と振替えてオハフ33に編入され、新製から1年ほどで形式消滅しました。
スハ42_76.jpg
1986.10 佐津

スハ42からは61両が近代化および軽量化工事を受けてオハ36(一部は電気暖房取付でさらにスハ40に)となりました。写真は福知山区のスハ42 76で山陰本線、福知山線等で活躍。鋼板屋根製の体質改善車ですが、このようにオハ36になり損ねた青いスハ42も存在しました。
タグ:スハ42 76
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オハ47 506

数多いオハ47の中でも、1973年から北海道に渡り現地のスハ45に仕様を合わせて二重窓化、発電機のギャドライブ化等を行った500番代車です。501〜508の8両が改造されました。画像506号はさらに43系客車では珍しい非近代化車でした。
オハ47_506.jpg
1980.9 大沼公園

本州用の在来型客車では、元々が二重窓の代わりに、蒸気機関車の煤煙に含まれる燃えかす侵入を防ぐ網戸、または鎧戸が付く構造でした。網戸は蒸気全廃後、殆どの車で撤去されましたが、二重窓化については、このスペースに窓枠を後付すれば、比較的容易に対応出来たものと思われます。気動車、電車と異なり、在来型客車の北海道向け転用改造は多々見られました。JRとなってからもJR東日本からJR北海道に譲渡された「SLニセコ号」用客車オハ47、スハフ42、オハフ33の改造例があります。話に聞いた所では、道内でライダーハウスとして利用されていた客車から、二重窓の窓枠を取り外して流用整備されたそうです。
タグ:オハ47 506
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オハ47 2233

オハ47はスハ43の台車をTR47から、TR23またはTR34に振り替えた客車です。
1950年代後半、主に戦前製客車の台車を流用し、車体を新製の上、登場した10系寝台車のオハネ17(→冷房化でスハネ16)、食堂車オシ16との間で交換が行われました。当時、客車の軽量化を求められていた時代背景もあり、オハ47は全部で328両と同車改造やオハ46への編入を受けずに残った、元来のスハ43を上まわる陣容となりました。
オハ47_2233.jpg
1982.11 福井

写真は急行「越前 」(上野ー福井)に運用されていた時代のオハ47 2233。洗面所の窓は急行形電車のグリーン車や近郊形電車でみられる固定式に改造されていた例です。43系客車は上越新幹線が開業した1982年11月ダイヤ改正の比較的遅い時期まで札幌や上野、名古屋発着の定期急行列車に使われていました。

※1982年11月改正直前までのスハ43系使用、定期客車急行
「利尻」札幌ー稚内、「大雪」札幌ー網走、「まりも」札幌ー釧路
「鳥海」上野ー秋田(羽越本線経由)、「妙高」上野ー直江津(長野ー直江津は普通列車)、
「能登」上野ー金沢(長岡経由)、「越前」上野ー福井(長野経由)
「きそ」名古屋ー長野(下りは直江津行き、長野から普通列車)

所定運用ではスハ43系使用でしたが「妙高」ではオハ35系、「きそ」では10系座席車が連結されていることも実際はありました。
タグ:オハ47 2233
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スハフ42 522

緩急車不足により、1978年にスハ43 700番代の712・716号(元スハ43 291・435)をスハフ42に再改造したのが、スハフ42 521および522です。便洗面所がない方の窓1つ分の座席を撤去し、デッキ内側に車掌室を設けた形態で、オリジナルのスハフ42とは外観・窓配置が異なります。独自の番代区分は行われず北海道用に転用改造されたスハフ42 500番代の追番となりました。
スハフ42_522.jpg
1984.8 網走

なお、この車とは別のスハフ42 519も元はスハ43で521、522号と同じ形態ですが、こちらは本州時代、先だって緩急車化され、一旦スハフ42 400番代(スハ43 482→同2482→スハフ42 2404)を経て、改めて北海道向けの500番代へ再改造・編入されました。
客車を編成する上での緩急車は欠かすことが出来ず、需給の関係から、同様の改造例は他の系列、形式でも数多く発生しました。また、改造では番代区分や形式変更を伴う場合と、伴わない場合とがあったり、在来型客車の変遷をより一層、複雑にしています。
タグ:スハフ42 522
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スハフ42 502 スハフ42 520

元々、本州で使われていたスハフ42を二重窓化等の保温対策改造を施して、北海道へ転配されたのが500番代車です。1973年より転用され始め、最終的には501〜523の陣容となりました。
写真の502号は元スハフ42 111、520号は同66からの改造です。
スハフ42_502.jpg
スハフ42 502 1981.3 札幌

また、520号は混合列車のある釧網本線で運用されいたことから、石油を燃料とする※ファンヒーター装置が床下に取り付けられていました。
スハフ42_520_2.jpg
スハフ42 520 1983.8 網走
スハフ42_520窓周り.jpg
スハフ42 520の二重窓
別の項でも触れていますが、その内の519号は本州時代に一旦スハ43から緩急車化されたスハフ42 400番代を経て北海道用500番代に、521・522号はスハ43 700番代を直接、緩急車化改造したものです。この3両はスハフ42原番代を種車にした500番代と窓配置等が異なるなど、少数グループながら個性的な車も存在しました。
中でも最終番号の523号についてはオハ35系に属するスハ42 501からの編入改造で、これも釧網本線にヒーター付きで運用されていました。形態的には短期間存在した同緩急車スハフ41の復元ともいえる存在で、本来のスハフ42とは似て非なる珍車でした。



※機関車次位に貨車を連結すると、熱源となる蒸気を客車に供給出来ないため。他に石北本線や五能線でもみられました。
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スハフ42 170

スハフ42はスハ43形の緩急車として、1951年から1955年にかけて335両が製造された旧3等用客車です。写真の170号は近代化改造を施された青15号塗色車。
電車や気動車、10系軽量客車が進出しつつあった1960年代当時、内装の見劣りもすることから、主に急行列車用だった同系列の殆どについて近代化工事が行われました。他形式への改造例は少なく、一部が晩年、通勤形オハフ41 200番代や改造名義でスユニ50への部品供出車となっています。

主な工事の内容については、天井灯の蛍光灯化、座席テーブルの取付、内装をニス塗りの木製ベニア板から樹脂製化粧板への交換等。アルミ製の窓枠やスチール・ステンレス製網棚への交換まで手が入った車両も多く存在しました。
また、本工事では予算や施工工場ごとの差も多く、外観色こそ青に塗られていても、テーブルが省略されていたり、ベニア板をペイントで塗りつぶして、文字通り茶を濁しただけの外れ車両も一部で見受けられました。
1971年頃からは引き続き、客車の検査回帰延長を目的とした体質改善工事(妻板にTマーク表記)が実施され、この際に近代化改造に準じた整備が施された車もあったようです。

そのほか、地方の混雑時対策として、スハ43、オハ47とも四国では車端部のロングシート化と吊り革設置、洗面所を撤去した近郊形改造車や、九州(筑肥線・勝田線)では同じく座席を撤去した車も存在しましたが、番代区分は伴いませんでした。

スハフ42_170.jpg
1986.10 浜坂

同車は現在でもJR、私鉄で保存車が健在ですが、JR化後、スハフ42 2254が1991年まで和田岬線の予備車としてJR西日本に所属し、時折オハ64に連結されて走る姿を見せていました。塗色は青15号でしたが末期はぶどう色化され、同線の気動車化まで、定期列車最後の43系として活躍を続けました。
タグ:スハフ42 170
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スハフ42 2164

スハフ42はスハ43形の緩急車として車端部に車掌(乗務員)室を設置した形式車です。1951年から1954年にかけて335両が製造されました。鋼体化客車オハ60系に続いて車掌室が外側へ設けられました。妻面に窓が設けられて乗務員の後方監視が容易になり、以後に登場した14系や24系客車にまで引き継がれるスタイルとなります。
スハフ42_2164.jpg
1984.8 一ノ関

写真は内装がニス塗り、ぶどう色姿のスハフ42 2164で、まるで銀河鉄道999に描かれているモデルのような客車ですが、やはり殆どが盛岡や秋田などの東北地区でのみ残存していた末改装車の43系です。

例外的に西日本地域で見られたチョコレート色のスハフ42も居ましたが、福知山(福フチ)と門司区(門モシ)に1両づつだったと記憶しています。後者の302号は夜行鈍行「ながさき」(門司港ー長崎・佐世保 1984.2改正で廃止)の座席車として活躍していましたが、創設間もない頃の18切符や周遊券で一夜を過ごされた年配方も居られるのではないでしょうか。なお、2018年8月現在、画像の2164号は上越線、越後中里に隣接するスキー場の休憩施設として現存します。
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スハ43 2326

戦後の1951年より在来型客車、旧客の中でも最終期に製造されたのがスハ43系です。旧3等車のスハ43、スハフ42のほか、系列では旧2等車(後のグリーン車)や食堂車、寝台車形式も起こされて、数多く全国の長距離優等列車に用いられました。その中核形式となるスハ43は1955年までの4年間に698両が製造されました。
スハ43_2326.jpg
1984.8 一関

車体はオハ60系に続いて完全切妻構造を採用しました。※1車内放送設備、※1普通車の天井扇風機の採用、床材の樹脂化、座席の背ズリの傾斜化(初期車除く)と頭も垂れの設置、車内照明を明るくする為の灯具の2列化等、当時としては先進的な接客設備を備えた車両でした。また、車体の切妻構造により妻板の後退角がなくなったスペースはシートピッチ拡大に充てられ、1,470mmの座席間隔は後の電車や気動車も含めた、国鉄の急行用車両で標準寸法となりました。
台車についてもウィングバネによる軸箱支持方式を採用したTR40を、更に乗り心地面で改良した新形式TR47となり、居住性の良さと相まって、スハ43系は当時を知る鉄道ファン、関係者から名車として数えられるうちの一つとされています。

同系列については、全盛期の1964年頃から殆どが近代化改造工事の対象となり、車内照明の蛍光灯化、内装ベニア材のニス塗りから樹脂製化粧板化、外観色も20系客車と同じ青15号への塗色変更が行われました。

写真のスハ43 2326は改装を施されなかった数少ない原型車で、1984年の夏に一関で撮影。当時、運転されていた原ノ町発、青森行の鈍行223レを仙台から乗り通した際に連結されていました。前からED75+スハフ42茶+オハ47青+スハ43茶+スハフ42青と鉄道模型さながらの編成でした。このような末改装車は、東北の※2盛岡地区に比較的多く配置されていたようです。

なお、スハ43は台車をTR23やTR34と振り替えたオハ47への改造、後期車のオハ46への大量編入等で、晩年は改造や改形式を伴った車両の方が多く占めていました。

※1初期落成車は準備工事。放送設備が備わる以前はアニメ「銀河鉄道999」の車掌さんのごとく、駅の到着前ごとに通路を通りながら、声掛けで案内していたそうです。

※2私の記憶が正しければ、この頃、夜行鈍行「山陰号」(京都ー出雲市)で活躍していた出雲市区配置のスハ43 315号のみが、東北以外の地域で唯一ぶどう色でした。
タグ:スハ43 2326
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